ひりひりくらいがちょうどいい

「大人しい子供」でした。日々の書きたいことを書きたいように書いていきます。

子ども産むこと

 今まで生きてきて、自分の子どもが欲しいと思ったことがなかった。子どもはかわいいと思うし、子どもの心理や教育学的なことに興味はあるけど、自分の子どもを持ちたいかとなると話は別。赤ちゃんより動物をかわいく思う人間だし、子ども好きだけど接し方がわからなかったり。自分も子どもみたいなものだしなと思ったり。

 結婚して子ども産んでって、スタンダードな女性の幸せに興味がなかった。子ども産むより、自分自身の魂込めて小説や詩や物語を創りたい、そちらの活動に邁進したいって気持ちがあった。自分が創るものだって自分の子どもみたいなものなんだからって。子どもを産んだら自分の好きなことをする時間がなくなってしまう、制限されてしまう、自分のためだけに時間やエネルギーを使えなくなる…そんな思い込みが強くて、結婚したからって、さあすぐ子どもつくるぞ!という気にはなれなかった。

 今、かたくなな考えが少しずつほぐれつつある。

 

 休日の朝方、思ったより早く目が覚めた。となりにはすやすやと気持ち良さそうに眠る主人の顔。主人はとてつもなく優しい。優しすぎる。せつないくらいに。

 

 もうそろそろ一年になる。31歳になった最初の日の夜、結婚しよう、と言われた。一生使えるよって、名前が彫られた柘植の櫛をもらった。大切にしていたのに。

 結婚式の二日前、なくしてしまった。駅のトイレか電車の中か。何度も探し、問い合わせたけれど見つからなかった。もともと私は忘れ物や落とし物が多く、今までもいろんなものをなくしてはすぐに見つかったり見つからなかったりを繰り返してきた。もっと気をつけていたら、と何度も悔やんだ。よりによってプロポーズの時にもらった大切な大切なものを、結婚式の二日前になくしてしまうなんて。悲しすぎる。

 主人に恐る恐るその日のうちに、失くしてしまったことを告げた。

「鞄の口を開いていたのはいけなかったな」

「そうだね」

「………」

「………」

 沈黙。少しして、どうしたんだろうと様子をうかがってみると、声を出さずに泣いていた。泣いているところを見たのは初めてだった。普段穏やかな彼がこんなになるなんて。あれはただの誕生日プレゼントじゃないんだよって。自分にとっては婚約指輪みたいなものなんだよって。彼にとっても櫛は当然思い入れのあるものだったのだ。

 その日は二人で櫛を失くしてしまったことを悲しみ抜いた。

 主人を泣かせてしまうほど悲しませてしまった自分がたまらなかった。

 主人は悲しんだけれど、私を責めて怒ることはしなかった。

 

 主人の寝顔を見ていて、つくづく思った。優しいなぁと。私なんて、どうでもいいようなことですぐ怒って態度に出してしまうのに、主人はどんなにひどいことをされても自分のためには怒ることをしない。ただ静かに悲しむだけなのだ。

 この優しい優しい繊細な遺伝子を大事にしたい、そう思ったのだ。

 

 形のある物はいつかは無くなってしまうし、物は物でしかない。と、櫛を失くした時何度も自分に言い聞かせた。大事なのは物と共にある気持ちなんだって。

 大真面目に言うと読んでいる皆さんが恥ずかしくなるようなこと。恥ずかしくなるようなことだけど、実は皆同じような思いを持っているのだろうな、ってこと。

 愛する気持ち、を残したいのだ。私と主人、二人でつくる命、それはつまり私たちがこの世界で愛し合っていた、っていう一つの証明。

 あとで冷静に読み返したとき大変気持ち悪く、こっぱずかしいのだろうけど、大真面目に言ってそういうこと。

 命は引き継がれていく。私と主人がこの世界からいなくなっても、私たちの命=私たちが愛し合っていた気持ちの証、は世界にずっと残り続けるのだ。そうしてあわよくば何代にも継がれていったのなら、人間として産まれて主人と出会って愛した記憶が世界に刻まれることになるんじゃないかなって。それは私にとってすごく価値のあることだなって。

 寝ぼけた頭でぼんやりと、しかし確信と呼べるものを持って、考え感じた数分間。

 

 今すぐに何をどうこうではないけれど、一つの方向性が見えてきた。それは夫婦にとって良いことかな、と思う。

 自分の歩く道筋が徐々に変わってきた。変わってくるからこその醍醐味もあるのかもしれない。

  自分の好きなことに時間を使いたいって気持ちは健在。子どもができるからって自分の好きなことに時間を使っちゃいけない決まりはないんだし、すべては自由で自分次第。可能性はいつだって無限に広がっているし、道が無いなら自分で新しく創ることだってできるのだ。

 子ども欲しいと思ってすぐに出来るほど簡単なものじゃないけど。誰にでも出来るものではないし、もしかしたら出来ない可能性だってある。その時はその時。

 ひとまず。とりあえず。ぼちぼち情報収集していこうかな。年齢的にはぼちぼちなんて言ってる場合じゃないのかもしれないけど、焦ってどうなるものでもないしね。

 

 少しずつ、自分の中の目新しいこの気持ちを育てていこう。そんなふうに思っています。