ひりひりくらいがちょうどいい

「大人しい子供」でした。日々の書きたいことを書きたいように書いていきます。

家族への報告

 先週末、いとこの結婚のお祝いを家族でまとめて渡しに行く、という予定があったので、全員が集結するこの機会を上手く利用して、家族全員に自分の結婚を報告しました。

 帰る予定がなかったら、そんなに早く報告しなかったかもしれない。いや、自分の中のせっかちの気質が、待ってました!とばかりに騒いでやはり報告していたかな。マイペースで平均とか気にしない性格なので、この二年間周りをやきもきさせていたけれど、私、実は、決めたらすぐ!の人でもあるのです。

 例えば「ちょっと話したいことがあるんだ」なんて連絡した上で実家帰ってしまっていたなら、帰らなくても「話したいこと」ってラインで言ってる時点でもうばれてしまうに違いない。それではつまらない。可能ならば、ある程度予測できない状況下で報告するほうが面白い。

 けどまあ、両親にはそこまで驚かれなかった。母には、交際中の人がいることは前から話していたし、いつかは結婚したい、とか結婚するならどうするこうする、との話もしていたので。

 

 帰宅後、父一人、祖母一人。父に小さく「あとで話したいことがある」と布石を打った。その後、母帰宅。母にもタイミングを見計らって、同じように布石を打っておいた。姉妹たちがリビングから姿を消し、両親と祖母と自分、の状況になった時に「今だ」と思い切り出した。

 「話したいことがあるんだけど」と。そうしたら、私が結婚のけの字も言っていないうちから母が「結婚するの?」と。やはり気配は伝わっていた。あまりに唐突に言いすぎるのも変だと思って気遣いで布石を打ってしまったから、な。「おめでとう~!」と興奮して嬉しがるわけでもなく、落ち着いた自然な対応。嬉しい、というよりほっとひと安心、という感じだった。まあ、娘30だからな。

 父のほうの反応ははっきり読み取れず、ほぼ黙ったままだった…。付き合っている人がいることは認識していたようだけど。普段から淡々としているからそこまで気にはならなかった。ショックもあるのだろうか…?

 その場で両親に、結婚の挨拶の日取りを検討してもらった!

 翌日、姉妹たちに報告。予定が終わって時間ができた時に。これまた、そこまでの驚きはなかった。やはり年齢が年齢だし、付き合っている期間も長いからな。

 

 その後、彼に会って、挨拶の日取りが決まったことを報告すると「プロポーズしてから一週間も経たないのに、もう結婚挨拶の日にちが決まるとはスピーディーだ」と言われた。確かに、そうなのかもしれない。けれど、自分ではそこまで早いと感じない。

 付き合って一年半ほどの間は結婚の話はほとんどしていなかった。何となく「結婚」という言葉を具体的に口に出してしまったら最後、という感覚があった。何かが変わってしまう気がしてこわかった。何も知らない恋人どうしで居る時間を長く取りたかったんだろうな。

 ここ最近、つい二か月ほど前からは、少し唐突な感もあったけれど、私から具体的な話を投げかけ始めていた。身近な友人や後輩に立て続けに恋人が出来ていく中で、付き合いの長い自分がまだ結婚に至っていない…ということに考えが及んでしまって焦る気持ちが出てきてしまっていた。前回のブログで、「ものすごく結婚したいわけでもない」なんて書いていたのに、焦る気持ちも同時にあったなんておかしな話だ。人間というのは、常に相反するさまざまな感情を合わせ持っているものなんだろうな。

 

 挨拶はまだ一か月以上先。私たちの前から決まっていた予定や両親の仕事の都合。彼の両親への挨拶はもっと先になりそう…。ここで焦ってはいけない。結婚は二人だけで勝手に決められるものではないのだから。待機期間のあいだに情報収集しなくちゃいけないことだってまだまだたくさんある。有効活用しないと!

 とりあえず、挨拶するにあたって、女子アナ風の万人受けするようなキレイ目な洋服を準備しよう。普段カジュアルな服ばかりでキレイ目はほとんど持っていないので。お買い物♪

 さてさて、一か月後、どうなっているかなぁ。

 

31歳、二日目の夜

 昨日の夜、予定どおり31アイスクリームでお祝いしました。その後、よく行くイタリアンレストランへ…。

 そのレストランは前の職場の近くにあるのだけど、仕事の歓迎会やお食事会、ともだちとの女子会、また、恋人とも二回ほど利用したことのあるお店だった。
 チェーン店だけど、田舎にあるにしてはお洒落で雰囲気が良く、価格もリーズナブル。それぞれの座席が半個室のように設置されているので、地元の老若男女の皆さんのお喋りに重宝されている感じ。もちろん、お料理も美味しい。

 誕生日の前の日の夜の予感は、どうやら的中していた。しあわせの予感。
 具体的に何がどうなると予測していたわけではないけれど、何かが始まりそうで、生まれそうで、ワクワクしていた。
 (前回の「30歳、最後の夜」をご参照ください)

 二人セットのはずなのに二人で食べても量が多くて、満腹。ディナー前に食べた31アイスクリームが確実に影響している。
 ひといきついていたら、プレゼントをもらった。
 ネタのプレゼントと、本気のプレゼント。
 食玩のオモチャ葉書と、職人さん手作りのつげの櫛。

 櫛に彫られた自分の名前を見た時、心がジワッとした。そこに込められた彼の気持ちを受け取って。
 特に、櫛が欲しい!とリクエストはしていなかったけれど、私はよく彼の前で「クシが無い」「クシどこ行った」と普段使っている櫛を無くして探していることがあった。髪が傷みやすくなったと話もしていた。髪を伸ばすんだ、とも。
 自分で欲しいと思っていなかったけれど、今自分に必要なものを受け取った。彼は私の潜在的ニーズを見事に掘り起こしたのだ!

 「良い櫛だから一生使えるよ」
 「一生」という言葉がこそばゆい気がした。今思うとその言葉にも意味が込められていたのか…。

 ひととおり喜んで、余韻に浸って、落ち着いて、良い雰囲気が訪れて。
 彼の口が動いた。何かを言う前に先に口が動く癖。人目を気にしながら小声で。
 何を言われるのかな、と、単純に思っていた。

 「…しよっか」「…しよう」
 ついに来た。
 未来への提言。
 今か!と驚いたけれど、緊張しているだろう彼を安心させたくて、また、自分からも提言を出したかったので、
 「うん」「…しよう」
 と。私も言った。

 あと1か月は先かな、と勝手に思っていた。来月が付き合って二年記念日だったので。
 プロポーズって、思い出の場所とか記念日とか、綺麗な夜景を見ながらとか高級レストランとか、勝手に思っていた。昨日のレストランは彼の誕生日もお祝いした場所なので思い出の場所ではある…。けどけっしてリッチではないし夜景は見えても思いっきり車道…。彼は昨日会ったときから普段と変わらないように見えて、「今日は何かがあるぞ…!」「誕生日だし、今日プロポーズされるぞ!」とは思わなかった。いつもどおりリラックスした雰囲気だし、ともだちみたいな気取らない会話。いつもどおりだった。私はリラックスしていたし、期待も予想もしていなかったから、まさに不意打ちだった。なのに気がつくと即答していた。あとで聞くと彼はやはり緊張していたらしい。
 けど、不意打ちで良かったように思う。付き合った記念日に!なんて思いこんでいたけれど、あまりにも自分が予想していたとおりに展開していくようでは面白くない。男の人のほうが前のめりなくらいが良い、とも言うしね。
 特別と日常の中間くらいの自然な流れが二人には合っていたのだな。あまり気取った行ったことのないようなリッチなレストランは格式ばりすぎていて二人には合わない。

 今、少しのときめきと共に案外冷静に文章を書いているけれど、そりゃあ昨日はめっちゃ嬉しかった。イエスノー関係なく、そう言ってくれた彼の気持ちが純粋に嬉しかった。
 舞い上がってはいない。自然体。ものすごく結婚したかったわけでもなく、ものすごく結婚したくなかったわけでもないから。
 私は「結婚したかった」のではなく「彼と一緒にいたい」だけ。だから結婚にものすごい期待をしていないし、「結婚したら幸せになれる」なんててんで思っていない。なぜなら私はすでにしあわせだから。しあわせは誰かがもたらしてくれるものではなくて、自分が感じる気持ちだから。 

 先ほど上の会話文で「結婚」を「…」と表記してしまった。「結婚」と表記できないくらいまだ意識の中で現実味を帯びていないところが実際。
 今日、さっそく大人のゼクシィなど購入した。書店員さんに調子に乗っているように思われたくなくてわざと必要以上の無表情をつくった。きっと書店員さんはいちいち結婚情報誌を買うお客さんの表情など気にしていないだろうに。自意識過剰な奴だ。
 これからお互いの親への挨拶や指輪の購入、顔合わせ会に挙式準備、引っ越し、入籍…いろいろとこなしていくステップがたっくさんある。もよう。
 調べたら、プロポーズから入籍までの期間って本当に人それぞれみたいだ。長い人もいるし短い人もいる。それぞれのカップルがそれぞれ自分たちに適したペースで進めているのだろうな。統計を見て、平均の概念もほぼ無い印象を受けた。平均を知りたい、普通はどうなんだろう、と私も思ってしまうけど、そこはやはり自分たちのペースで良いんだろうな。むしろ「平均」に無理やり合わせると失敗するように思う。あくまでも目安。自分たちが心地よいと思えるペースで進めていこう。

 でもまだ一日。実感があるような無いような。ドキドキ。ひとまず、今週末別件で実家に帰る機会があるので、そこで報告しようか…な。何というタイミング。
 また何か感じたらご報告いたします。

30歳、最後の夜

 仕事に行って、帰り道に夕食&日用品の買い物をして、いつもどおり一人で夕食食べて、明日の準備とか家事とか、あれこれして、今。

 普段と変わらない過ごし方ですが、30歳、最後の夜です。

 違っているのは、ドキドキ?ワクワク? 少しときめいているような、何かを期待しているような、待っているような、胸のざわめき。

 いつもはTVのニュースやラジオの音楽を聞きながら家事してますが、今日は特別。

 大好きな歌手・坂本真綾さんの、これまた大好きな、今一番お気に入りのアルバム「FOLLOW ME UP」を聴きながら家事してました。

 

 30歳を、振り返ってみる。

 あっっっという間だったな。今までで一番フルスピードだったように感じている。そんなもんか。

 

 一年前の誕生日。人生で初めて、大好きな人と二人で誕生日をお祝いしました。

 いよいよ30代!ということで、新たなステージに希望が見えた。誕生日の少し前に、伸ばしていた髪をやってみたかった前下がりボブに衝動的にカットして。

 何でもできるような気分。晴れやかな心地の、心躍る幕開け。

 その後すぐに、合唱団の本番のコンサートのステージに立った。

 そして大好きな人との一年記念日…。…イロイロあった。

 スマホを変えたクリスマス。5年ぶりに見た初日の出! 年末年始は、スマホの不具合に振り回されてばかりだった。待ち合わせが上手くいかなくて、恋人と大ゲンカ(一方的?)までした…。機械に振り回されたら人間終わりだ、反省しております。

 衝撃的な出来事があって、不安で心配ばかりしていた日々もあった。

 そんな中でも楽しみは能動的に見つけ出して、大いに楽しんだ。絆が深まっていった。

 2月終わり頃は、自宅のガスの調子が悪くなって、一週間銭湯に通ったこともあった。

 4月に職場異動。気が合わなくて苦手意識を持ってしまう人が、人数少ない中に二人もいて。

 人間関係に、仕事自体も、なかなか出口が見えなくて、とりあえず息吸わなくちゃともがいて泳いでるような半年だった。息継ぎ出来なさすぎて、社会人としてあるまじき子供じみた展開になってしまったり。

 

 予想通りだけど、振り返ってみると、当初希望に満ちあふれていた割には、なかなかについていないことが多い一年だったように思う。ついていない、というのは不可抗力。どうにもならないことや理不尽なこと。けっこう降りかかった年だった。

 楽しいことも同じくらいあったけれど、ジワジワしんどい出来事が一年の中で目立ってしまった印象。

 星占いを絶対的に信じているわけじゃないけれど、2016年9月9日から木星おとめ座からてんびん座に移動して、てんびん座の人は12年に一度の幸運期に突入するらしい。何となくだけど、予感はする…。しあわせの予感。このブログも始めたことだし(!)、自分の状態や気持ちも含め、これからいろんなことが調ってくる予感はしているのです。

 

 それでも人生に理不尽は付き物!自分ではどうにもできないような理不尽な出来事に不意に見舞われた時、くよくよするのじゃなくて、何とか理不尽に負けないように、気にしないでいることだったり(ふりでも)、あるいは理不尽自体をたのしんでしまうことだったり、自分なりの方法で軽やかに対応していくことがこれからの人生のカギになっていきそうです。

 「あしながおじさん」のジルーシャも言っていた!

 『私、幸せになるための真の秘密を見つけたのよ、おじさん。それは「今」を生きることです。過去を悔やみ続けるのでもなく、未来を憂うのでもなくて、今のこの瞬間から最大限のものを引き出すことなのです』

 

 なんだかんだで日付が変わって、私は今、31歳。

 明日は仕事。終わったらサーティーワンアイスクリームでお祝いしましょ。

 

 

押し売りできない

 平日の午後。
 今日はお休みだったので朝起きてから洗濯機を回した。今週は晴れ間が少ないようなので、スーツと夏用のネイビーのスカートも洗濯して干した。
 午前中、録画していた「真田丸」1話と「エヴァンゲリオン」の再放送2話ぶんを観てお昼前から外出。
 観に行きたかった展覧会に出かけ、ほぼ人の居ない平日の美術館でゆったりアート観賞。うん。今日はなかなかに充実している。
 久しぶりのお一人様お出かけ。ひとりならではの楽しさを味わっています。

 さて、昨日の話。
 営業において、押すことって難しいな、というお話。
 普段、仕事で営業していて上手くいかない時、後で考えるとニーズ喚起や聞き取りが存分に出来ていないのに「○○がおすすめですよ!」って、押し売りみたいになってしまっていたなぁと反省することがある。
 昨日はその逆で、せっかく買いに来たお客さんに対して、いろんなプランを提示しすぎてお客さんを即決に導くことができなかった…。「ゆっくり考えてからまた来ます」って…。
 今の職場に転勤してきて半年。同僚は皆営業スキルが高く、私の昨日の接客の一部始終を見て下手くそなやり方だと思ったに違いない…。きっと、お客さんが私ではなく他の同僚が担当していたなら即決となっていたのだろう。おそらく。
 わかってはいる。ぶっちゃけ一番高いものを売ることが会社の利益にはなる。高いものが将来的にお客さんの役に立つこともわかる。良いものは高い。ただお客さんにも予算があるので、できるだけ良いものをその人に適した払い方で手にすることができるように導いていくことが営業の仕事。
 例えば上手な人は選択肢が複数ある中で、一番高くて良いものに決めやすいように話を持っていったり、払い方を提案したりするんだろう。私はひとまずお客さんにいろんな選択が出来ることを知ってほしいし、オプションが要る要らないもきちんとお客さんの状況やその他情報と照らし合わせて納得した上で選んでほしい。
 「マジメすぎる人は営業には向かない」
 「いい人だと思われたい人は営業には向かない」
 よく言われるようだけど、まさに自分のことだよな…と思う。
 営業をしている社会人としてははずかしいかもだけど、自分がこれだと決めてしまうことで責任を負いたくないって気持ちがあるのだと思う。ただ、自分がそこで決めないからいつまでも成績が伸びない。成績の良い人は、自分の提案に自信が持てる人。責任が負える人。もしくはそこまで深く考えていない人。
 自分がお客さんの立場だったら、自分なりに研究して納得した上で選ぶほうだからなぁ。だから悩んでしまうお客さんの気持ちはよくわかる。むしろ私、店員さんに「こっちが良いですよ!」って押し売りされたくないし。

 営業の会社だから、そりゃ営業成績向上に向けて努力しないといけないんだろうけど、要らないかもしれないものをムリに買ってもらって成績挙げるくらいだったら成績悪いままでいいかなって思う。
 「必要だと思ってもらう」→「買ってもらう」って流れが一番良いんだろうな。自分もお客さんも会社もHAPPYだから。この「必要だと思ってもらう」=ニーズ喚起がなかなかくせ者で、営業の流れの中で私が一番苦手とする部分かもしれない…。
 必要だと思ってもらった上で選んでもらえたなら、「要らないかもしれないものを売ってしまった」と罪悪感を感じることもなく、お客さんの役にも立てるんだからやりがいも感じられるはず。

 ニーズ喚起こそが営業の肝なのかなぁ。
 まずは自分が必要と思うことからか…。
 あぁ、マジメだ…。(だから向いてない)
 まぁ、今回言いたかったことは、営業にはニーズ喚起が大事って方法論じゃなくて、私がお客さんにきちんと納得した上で選んでほしい、と思ってる気持ちかな。それが例え会社にとって利益が少ない結果になったとしても。自分で納得して決めることは何にしても大切だと思うから。
 だから私は押し売りできない。
 押し売りできなくてもいい。
 押し売りして成績挙げるセールスパーソンじゃなくて、必要だと思ってもらった上でお客さん自身に選んでもらって成績挙げるセールスパーソンを、どっちかと言うと目指したいかなと思います。

社会性と個性の中間地点

 皆から一人離れて珈琲屋さん。
 人と一緒に居ることが嫌いではないのだけど、小・中学校時代のぼっち行動が肌に馴染んでしまっているのか、今でも大勢で行動するよりも一人で居るほうが落ち着く。他愛ないことを話したり、場作りすることが得意じゃない。
 今日は会社のマナー試験。まだ暑い最中、白シャツにスーツを着込んで、前髪固めて、完璧なキャビンアテンダントを演じきった。キャビンアテンダントだなんて滅相もないのだけど。

 結局、ホワイトカラーの接客業なんて、個をこわしていくだけだ。
 皆、同じように眉毛を見せて、耳見せて、何を言われても愛想笑い。どんなに怒られても傷つくことなく笑っていられる人間なんているわけがないのに。
 傷ついても、ひりひりしても、気にしていないふりをする。ふりをしなくちゃいけない。ふりをする人間が評価される。
 30越して何を青いことを、と言われても、唯一無二の個性を壊したり変形させたりしていかないことには立派な社会人にはなれない、ということは社会人経験者なら誰もが身につまされたことがあるだろう一つの真実だ。
 18歳で就職した頃、接遇やマナーの意味が自分の中にどうにもストンと落ちなかった。社会人として型に合うようにと振る舞いを限定されることで自分の個性が潰されていく感じがしたからだ。その一方で面接は得意だった。面接はその場限りなのでどんな自分でもうまく演じられたからかもしれない。
 いつでも立派な社会人を演じられたらラクなんだろうけど、なかなか自分の個性とのちょうどいい割合が見つけられない。

 昨日聞こえてきた声。
 「あの子ならいろいろ声かけてくれたのにね」
 自分では笑顔でそれなりに対応できていたと思ったのに、お客さんからしたら、前にいた担当者と比べて私がつまらない、物足りないと思われたのだろう。
 明るく元気。その上自分の個性を上手く社会人として変形させて発揮できる人は、接客の仕事が苦にはならないのだろう。私は明るいふりはできるけれど本当には明るくもないし常に元気でもないので、接客の仕事はぶっちゃけそんなに向いていない、と思っている。それでも自分で選んだのは、向いていなくても、仕事をしていく中で人と関わり合って、少しでも明るい気分にしていける自分になりたい、と思ったからだ。
 聞こえた声で、ひりっとした。深い意味なく言われたんだろうし、悪くない。悪くはないし、むしろ言ったって良い。けれど、私が聞いてどう思うかは気にしないのかな…と暗いことを考えてしまう…。「もう来るのやめようかしら」ってそんなこと。私が間違いをしたわけではないのにな。笑顔で対応しても声かけがなく、愛想がないと思われてしまった…、よし、次回からはもっとプラスワンの一言を意識しよう!だなんて、何か起こった時にたいてい自分が割り増しで悪かったと必要以上に反省してしまうのが私の悪い癖。
 ま!こんなこともある!私来て半年しか経ってないし!前の人と比べられてもね!私は私だし!!
 半分くらいは、こんなふうに考えても罸は当たらないかも。

 中間地点、見つかるかなー。
 時間が来たし、そろそろ行こう。

 

ロングスカートに、ロングヘア

  今日はお休みで時間があったので、衣替えをしていた。

 半袖の夏服を仕舞って、秋口に着るトップスをクローゼットの取り出しやすい位置に並べ替えた。

 ボトムス…ロングスカートの量にびっくり。ボトムスの大半は確実にロングスカートが占めている。

 およそ10年前のクローゼットの中身とえらい変わりようだ。あの頃はパンツやショートパンツが持ってるボトムスのメインで、スカートは数枚しかなかった。

 

 25歳で、私は女性になった。

 もちろん文章上の表現であり、性転換とか処女とか非処女とかの話ではない。

 中学生の頃、外国の児童文学をよく読んでいた。トム・ソーヤーやらハックルベリィ・フィンやら小公子セディに憧れて、自分も外国の少年になりたいと思っていた。これは黒歴史とでも言うのだろうか。けれど誰でも思春期の頃には、自分以外の何らかに憧れたりするものなので、特に自分が変わっていて特別だったとは思わない。

 髪型はだいたいショートで、長くてもミディアムくらいの長さに留めていた。

 お芝居で少年役を演じることが何度かあったので、その影響もある。

 ファッションは昔も今も、ナチュラルな、絵本に出てくるような雰囲気の服が好きなので、傾向としては変わっていないが、ボトムスはだいたい好んでショートパンツでまとめて、中性的な雰囲気に仕上げていた。

 自分もかわいい服を着ていいんだと思えるようになったのが25歳頃。

 「着ていいんだ」って、別に誰も禁止していたわけじゃないが、かわいい服や短めのスカートを選ぶのは、何だか異性の目を意識しているように思われて抵抗があったのだ。

 25歳で短めのスカートを穿き出した。おせーよ!って突っ込まれるしかない。25歳になったし短めのスカートは卒業しようかな…という人だっている中で。

 けどファッションは基本的に自由だと思うので、突っ込まれても別に良い。TPOを意識して、他人さまに迷惑をかけなければ。

 20代後半頃は短めのスカートやワンピースが多くなった。

平均より10年以上遅いんじゃないかと思う。それまで恋愛に深い興味が無いまま生きてきており、恋はするにはしていたが、中学生か高校生の恋の延長のようなものばかりで、積極的に異性との交際を求めて活動したことがなかった。コンパとか、パーティーとか、いわゆる出会いの場に足を踏み入れたことがなかったのだ。

 恋愛活動をするようになってから、ファッションに変化が訪れた。

 

 今は恋人もいて、30代にもなった。落ち着いた気分になり、ロングスカートを選ぶようになったのかもしれない。子供の頃よく読んでいた少女漫画の摺り込みか、やはり男女が一緒に居る場合、女性がスカートを穿いているほうが絵になる気がするのだ。

 まあ、そんなことより、自分が今着たいのがロングスカートだから着ているだけなのだけど。追及すると何にでも理由があるものだ。以前はロングスカートは好きじゃなかったのに、人の好みはどんどん変わっていくものなんだな。

 そして現在、黒髪ロングヘアを目指して髪を伸ばしている。今セミロングくらいなので、あと1年ほどで理想の黒髪ロングに到達できるかもしれない。小学生以来ロングヘアにしたことがないので、34歳までに(何となく)一度黒髪ロングを経験してみたい!という望みがあるのだ。

 基本はボブカットをこよなく愛しているので、ロングは少し楽しんだらボブに戻すつもりではいる。

 ロングスカートにロングヘア。いかにも女性!という感じのスタイルが当分続きそうだ。

 結婚でもして暮らしが落ち着いたら、また気分も変わるかもしれない。その頃には再びボーイッシュに立ち戻ってみるのも悪くないな。

 

 

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ダンシング・キッズ!

 昨日の話。

 

 地元の公園で、いろんな地域のご当地グルメを屋台でちょこっとずつ食べられるイベントをやっていたので、小雨の降る中、彼氏と出かけた。

 グルメ満喫が目的だったのだけど、公園の中央のステージで、地元出身のシンガーソングライターやら路上ライブをやっているようなバンドがパフォーマンスをしていて、グルメを味わいながら、見るともなく眺めていた。

 何組目かで、地元の子ども向けダンス教室の子どもたちが、満面の笑顔を弾かせながら音楽に合わせてダンスを始めた。

 下は3歳くらい?から、上は高校生まで、いろんな年代の女の子たちが、手作りと思しき色とりどりのキラキラの衣装に身を包み、全身を力いっぱい使って踊っている。

 みんな振りがよく揃っていて上手。

 どの子にも共通するのは屈託のない完璧な笑顔。ニッコニコ!

 ちょっと緊張してるかな?って子もいたけれど。だいたい笑顔。

 きっと先生から「満面の笑顔で踊りなさい」って教えられてるんだろうなぁって、昔ダンスをちょこっとかじったことのある私は想像した。

 踊っているほうが笑顔じゃないと、見ている人に楽しさや元気さは伝えられないよって。

 

 踊る子どもたちを見ていると、だいたいいつも同じことを思う。あるいは劇場の子役、観客の子ども。

 私も子どもの頃、踊ったり歌ったり演技をしたりしたかったなぁって。

 お芝居もたくさん観たかったなぁって。

 高校生になってから演劇部に入り、18歳で働き始めてからは趣味でミュージカルをしたり、今は合唱団で2年に1回くらいはコンサートを開いたりして、大人になってからは随分と自分のやりたいこと、好きなことをたくさんやれている。ミュージカルや映画も、自分の観たい作品は必ず劇場まで足を運んでいる。

 ただ、子どもの頃は、自分の好きなことややりたいことに対して、どこか躊躇する気持ちがあった。飛び込むだけの勇気が持てないでいた。

 

 小学生の頃、運動会で、応援団の一環としてチアガールのダンスがあった。有志の、まさにやりたい子だけが放課後に時間を取って練習するシステム。

 低学年の頃にチアガールの演技を見て、自分もやりたい!!と思った。

 確か応援団へ参加できるのは3年生からだった。

 3年生の運動会の前、クラスで先生が「応援団やりたい人!」と有志を募った。

 さあ、今こそ手を挙げる時だ!と頭ではわかっていたのに、当時の引っ込み思案な私は手を挙げることができなかった。

 「応援団」という言葉を聞いて、クラスメートの何人かがクスクス笑ったような気がしたからかもしれない。せめて先生も「応援団」じゃなくて「チアガール」と言ってくれたら良かったのに。そうしたら手を挙げられたかもしれなかったのに。9歳の私は思った。

 結局、その場では誰も手を挙げず、先生に施されるかたちで他の子が選ばれていたように思う。当日、運動会で自分の出ていないチアガールの演技を見て、ものすごく後悔した。あの時手を挙げていれば。4年生では必ず手を挙げよう!と固く固く心に誓った。

 

 結局3年生の終わりにその小学校を転校してしまったので、チアガールのダンスは経験できずじまい。

 踊る子どもたちを見るといつも思い出す、ほろ苦い思い出。

 今ではダンスって学校の必須科目になってるらしい。テレビでアイドルがダンスしてるのを見る機会も多いし、私が子どもの頃とくらべてどんどんダンスが身近なものになっているようだ。子どもの習い事としてのダンスも、昔は今よりメジャーじゃなかった。

 アイドルに憧れてダンスやってみたい!って言う子もいるだろうし、お母さんがやっていたから子どもにも経験させたいってことで始める子もいるだろうし。

 「自分の子どもがやりたいって言ったら機会をつくると思うけど、それより自分がやりたいわ!」って言ったら彼氏に笑われた。

 実際今、合唱団のコンサートのほうで有志でダンスチームもあったりはするんだけど、自分は参加していなかったり。大人になってやってみてわかったけど、結構ダンスって運動神経が密接に関係してる。運動神経がつながっていない私はダンスをするのに人並み以上の頑張りが必要なのだった。けれどそれはやってみないとわからなかったことなので、少しでも足を踏み入れてみて良かったな!と思っている。

 何にせよ、今は、自分のやりたいと思ったことに対して躊躇なく行動できる大人になれたので、子どもの頃の後悔や無念は現在進行形で清算され続けている。

 

 子どもって親を選べないわけで、どうしても親の興味や趣味が子どもの興味関心に少なからず影響してしまうものだと思う。お芝居好きなお母さんは子ども連れでお芝居観に行くことがあるだろうし。

 私の両親はお芝居や歌やダンスの趣味が特別あったわけじゃなかったので、子どもの頃の私は、なかなか早い段階でそうした世界に触れることはできなかった。親のせいとかそういう話ではなく、親の影響力ってそういうものなんだと思う。

 けれど親とは関係なく、勝手にチアガールやってみたいと思ったし、学校で観に行ったミュージカルに影響受けて自分もやりたいって思ったし、ドラマの「ガラスの仮面」観て演劇やりたいって思った。結局子は子なんだな。親と子は別の人間。そういうもの。

 自分がいつか子どもを持った時、この感覚を忘れずにいたいな。

 

 9歳の私がキラキラ笑顔のダンスを見たら、どんな気持ちになっていたかな。

 参加してもなかなか上手く笑えていなさそうだ~。