社会性と個性の中間地点
皆から一人離れて珈琲屋さん。
人と一緒に居ることが嫌いではないのだけど、小・中学校時代のぼっち行動が肌に馴染んでしまっているのか、今でも大勢で行動するよりも一人で居るほうが落ち着く。他愛ないことを話したり、場作りすることが得意じゃない。
今日は会社のマナー試験。まだ暑い最中、白シャツにスーツを着込んで、前髪固めて、完璧なキャビンアテンダントを演じきった。キャビンアテンダントだなんて滅相もないのだけど。
結局、ホワイトカラーの接客業なんて、個をこわしていくだけだ。
皆、同じように眉毛を見せて、耳見せて、何を言われても愛想笑い。どんなに怒られても傷つくことなく笑っていられる人間なんているわけがないのに。
傷ついても、ひりひりしても、気にしていないふりをする。ふりをしなくちゃいけない。ふりをする人間が評価される。
30越して何を青いことを、と言われても、唯一無二の個性を壊したり変形させたりしていかないことには立派な社会人にはなれない、ということは社会人経験者なら誰もが身につまされたことがあるだろう一つの真実だ。
18歳で就職した頃、接遇やマナーの意味が自分の中にどうにもストンと落ちなかった。社会人として型に合うようにと振る舞いを限定されることで自分の個性が潰されていく感じがしたからだ。その一方で面接は得意だった。面接はその場限りなのでどんな自分でもうまく演じられたからかもしれない。
いつでも立派な社会人を演じられたらラクなんだろうけど、なかなか自分の個性とのちょうどいい割合が見つけられない。
昨日聞こえてきた声。
「あの子ならいろいろ声かけてくれたのにね」
自分では笑顔でそれなりに対応できていたと思ったのに、お客さんからしたら、前にいた担当者と比べて私がつまらない、物足りないと思われたのだろう。
明るく元気。その上自分の個性を上手く社会人として変形させて発揮できる人は、接客の仕事が苦にはならないのだろう。私は明るいふりはできるけれど本当には明るくもないし常に元気でもないので、接客の仕事はぶっちゃけそんなに向いていない、と思っている。それでも自分で選んだのは、向いていなくても、仕事をしていく中で人と関わり合って、少しでも明るい気分にしていける自分になりたい、と思ったからだ。
聞こえた声で、ひりっとした。深い意味なく言われたんだろうし、悪くない。悪くはないし、むしろ言ったって良い。けれど、私が聞いてどう思うかは気にしないのかな…と暗いことを考えてしまう…。「もう来るのやめようかしら」ってそんなこと。私が間違いをしたわけではないのにな。笑顔で対応しても声かけがなく、愛想がないと思われてしまった…、よし、次回からはもっとプラスワンの一言を意識しよう!だなんて、何か起こった時にたいてい自分が割り増しで悪かったと必要以上に反省してしまうのが私の悪い癖。
ま!こんなこともある!私来て半年しか経ってないし!前の人と比べられてもね!私は私だし!!
半分くらいは、こんなふうに考えても罸は当たらないかも。
中間地点、見つかるかなー。
時間が来たし、そろそろ行こう。