ひりひりくらいがちょうどいい

「大人しい子供」でした。日々の書きたいことを書きたいように書いていきます。

30歳、最後の夜

 仕事に行って、帰り道に夕食&日用品の買い物をして、いつもどおり一人で夕食食べて、明日の準備とか家事とか、あれこれして、今。

 普段と変わらない過ごし方ですが、30歳、最後の夜です。

 違っているのは、ドキドキ?ワクワク? 少しときめいているような、何かを期待しているような、待っているような、胸のざわめき。

 いつもはTVのニュースやラジオの音楽を聞きながら家事してますが、今日は特別。

 大好きな歌手・坂本真綾さんの、これまた大好きな、今一番お気に入りのアルバム「FOLLOW ME UP」を聴きながら家事してました。

 

 30歳を、振り返ってみる。

 あっっっという間だったな。今までで一番フルスピードだったように感じている。そんなもんか。

 

 一年前の誕生日。人生で初めて、大好きな人と二人で誕生日をお祝いしました。

 いよいよ30代!ということで、新たなステージに希望が見えた。誕生日の少し前に、伸ばしていた髪をやってみたかった前下がりボブに衝動的にカットして。

 何でもできるような気分。晴れやかな心地の、心躍る幕開け。

 その後すぐに、合唱団の本番のコンサートのステージに立った。

 そして大好きな人との一年記念日…。…イロイロあった。

 スマホを変えたクリスマス。5年ぶりに見た初日の出! 年末年始は、スマホの不具合に振り回されてばかりだった。待ち合わせが上手くいかなくて、恋人と大ゲンカ(一方的?)までした…。機械に振り回されたら人間終わりだ、反省しております。

 衝撃的な出来事があって、不安で心配ばかりしていた日々もあった。

 そんな中でも楽しみは能動的に見つけ出して、大いに楽しんだ。絆が深まっていった。

 2月終わり頃は、自宅のガスの調子が悪くなって、一週間銭湯に通ったこともあった。

 4月に職場異動。気が合わなくて苦手意識を持ってしまう人が、人数少ない中に二人もいて。

 人間関係に、仕事自体も、なかなか出口が見えなくて、とりあえず息吸わなくちゃともがいて泳いでるような半年だった。息継ぎ出来なさすぎて、社会人としてあるまじき子供じみた展開になってしまったり。

 

 予想通りだけど、振り返ってみると、当初希望に満ちあふれていた割には、なかなかについていないことが多い一年だったように思う。ついていない、というのは不可抗力。どうにもならないことや理不尽なこと。けっこう降りかかった年だった。

 楽しいことも同じくらいあったけれど、ジワジワしんどい出来事が一年の中で目立ってしまった印象。

 星占いを絶対的に信じているわけじゃないけれど、2016年9月9日から木星おとめ座からてんびん座に移動して、てんびん座の人は12年に一度の幸運期に突入するらしい。何となくだけど、予感はする…。しあわせの予感。このブログも始めたことだし(!)、自分の状態や気持ちも含め、これからいろんなことが調ってくる予感はしているのです。

 

 それでも人生に理不尽は付き物!自分ではどうにもできないような理不尽な出来事に不意に見舞われた時、くよくよするのじゃなくて、何とか理不尽に負けないように、気にしないでいることだったり(ふりでも)、あるいは理不尽自体をたのしんでしまうことだったり、自分なりの方法で軽やかに対応していくことがこれからの人生のカギになっていきそうです。

 「あしながおじさん」のジルーシャも言っていた!

 『私、幸せになるための真の秘密を見つけたのよ、おじさん。それは「今」を生きることです。過去を悔やみ続けるのでもなく、未来を憂うのでもなくて、今のこの瞬間から最大限のものを引き出すことなのです』

 

 なんだかんだで日付が変わって、私は今、31歳。

 明日は仕事。終わったらサーティーワンアイスクリームでお祝いしましょ。

 

 

押し売りできない

 平日の午後。
 今日はお休みだったので朝起きてから洗濯機を回した。今週は晴れ間が少ないようなので、スーツと夏用のネイビーのスカートも洗濯して干した。
 午前中、録画していた「真田丸」1話と「エヴァンゲリオン」の再放送2話ぶんを観てお昼前から外出。
 観に行きたかった展覧会に出かけ、ほぼ人の居ない平日の美術館でゆったりアート観賞。うん。今日はなかなかに充実している。
 久しぶりのお一人様お出かけ。ひとりならではの楽しさを味わっています。

 さて、昨日の話。
 営業において、押すことって難しいな、というお話。
 普段、仕事で営業していて上手くいかない時、後で考えるとニーズ喚起や聞き取りが存分に出来ていないのに「○○がおすすめですよ!」って、押し売りみたいになってしまっていたなぁと反省することがある。
 昨日はその逆で、せっかく買いに来たお客さんに対して、いろんなプランを提示しすぎてお客さんを即決に導くことができなかった…。「ゆっくり考えてからまた来ます」って…。
 今の職場に転勤してきて半年。同僚は皆営業スキルが高く、私の昨日の接客の一部始終を見て下手くそなやり方だと思ったに違いない…。きっと、お客さんが私ではなく他の同僚が担当していたなら即決となっていたのだろう。おそらく。
 わかってはいる。ぶっちゃけ一番高いものを売ることが会社の利益にはなる。高いものが将来的にお客さんの役に立つこともわかる。良いものは高い。ただお客さんにも予算があるので、できるだけ良いものをその人に適した払い方で手にすることができるように導いていくことが営業の仕事。
 例えば上手な人は選択肢が複数ある中で、一番高くて良いものに決めやすいように話を持っていったり、払い方を提案したりするんだろう。私はひとまずお客さんにいろんな選択が出来ることを知ってほしいし、オプションが要る要らないもきちんとお客さんの状況やその他情報と照らし合わせて納得した上で選んでほしい。
 「マジメすぎる人は営業には向かない」
 「いい人だと思われたい人は営業には向かない」
 よく言われるようだけど、まさに自分のことだよな…と思う。
 営業をしている社会人としてははずかしいかもだけど、自分がこれだと決めてしまうことで責任を負いたくないって気持ちがあるのだと思う。ただ、自分がそこで決めないからいつまでも成績が伸びない。成績の良い人は、自分の提案に自信が持てる人。責任が負える人。もしくはそこまで深く考えていない人。
 自分がお客さんの立場だったら、自分なりに研究して納得した上で選ぶほうだからなぁ。だから悩んでしまうお客さんの気持ちはよくわかる。むしろ私、店員さんに「こっちが良いですよ!」って押し売りされたくないし。

 営業の会社だから、そりゃ営業成績向上に向けて努力しないといけないんだろうけど、要らないかもしれないものをムリに買ってもらって成績挙げるくらいだったら成績悪いままでいいかなって思う。
 「必要だと思ってもらう」→「買ってもらう」って流れが一番良いんだろうな。自分もお客さんも会社もHAPPYだから。この「必要だと思ってもらう」=ニーズ喚起がなかなかくせ者で、営業の流れの中で私が一番苦手とする部分かもしれない…。
 必要だと思ってもらった上で選んでもらえたなら、「要らないかもしれないものを売ってしまった」と罪悪感を感じることもなく、お客さんの役にも立てるんだからやりがいも感じられるはず。

 ニーズ喚起こそが営業の肝なのかなぁ。
 まずは自分が必要と思うことからか…。
 あぁ、マジメだ…。(だから向いてない)
 まぁ、今回言いたかったことは、営業にはニーズ喚起が大事って方法論じゃなくて、私がお客さんにきちんと納得した上で選んでほしい、と思ってる気持ちかな。それが例え会社にとって利益が少ない結果になったとしても。自分で納得して決めることは何にしても大切だと思うから。
 だから私は押し売りできない。
 押し売りできなくてもいい。
 押し売りして成績挙げるセールスパーソンじゃなくて、必要だと思ってもらった上でお客さん自身に選んでもらって成績挙げるセールスパーソンを、どっちかと言うと目指したいかなと思います。

社会性と個性の中間地点

 皆から一人離れて珈琲屋さん。
 人と一緒に居ることが嫌いではないのだけど、小・中学校時代のぼっち行動が肌に馴染んでしまっているのか、今でも大勢で行動するよりも一人で居るほうが落ち着く。他愛ないことを話したり、場作りすることが得意じゃない。
 今日は会社のマナー試験。まだ暑い最中、白シャツにスーツを着込んで、前髪固めて、完璧なキャビンアテンダントを演じきった。キャビンアテンダントだなんて滅相もないのだけど。

 結局、ホワイトカラーの接客業なんて、個をこわしていくだけだ。
 皆、同じように眉毛を見せて、耳見せて、何を言われても愛想笑い。どんなに怒られても傷つくことなく笑っていられる人間なんているわけがないのに。
 傷ついても、ひりひりしても、気にしていないふりをする。ふりをしなくちゃいけない。ふりをする人間が評価される。
 30越して何を青いことを、と言われても、唯一無二の個性を壊したり変形させたりしていかないことには立派な社会人にはなれない、ということは社会人経験者なら誰もが身につまされたことがあるだろう一つの真実だ。
 18歳で就職した頃、接遇やマナーの意味が自分の中にどうにもストンと落ちなかった。社会人として型に合うようにと振る舞いを限定されることで自分の個性が潰されていく感じがしたからだ。その一方で面接は得意だった。面接はその場限りなのでどんな自分でもうまく演じられたからかもしれない。
 いつでも立派な社会人を演じられたらラクなんだろうけど、なかなか自分の個性とのちょうどいい割合が見つけられない。

 昨日聞こえてきた声。
 「あの子ならいろいろ声かけてくれたのにね」
 自分では笑顔でそれなりに対応できていたと思ったのに、お客さんからしたら、前にいた担当者と比べて私がつまらない、物足りないと思われたのだろう。
 明るく元気。その上自分の個性を上手く社会人として変形させて発揮できる人は、接客の仕事が苦にはならないのだろう。私は明るいふりはできるけれど本当には明るくもないし常に元気でもないので、接客の仕事はぶっちゃけそんなに向いていない、と思っている。それでも自分で選んだのは、向いていなくても、仕事をしていく中で人と関わり合って、少しでも明るい気分にしていける自分になりたい、と思ったからだ。
 聞こえた声で、ひりっとした。深い意味なく言われたんだろうし、悪くない。悪くはないし、むしろ言ったって良い。けれど、私が聞いてどう思うかは気にしないのかな…と暗いことを考えてしまう…。「もう来るのやめようかしら」ってそんなこと。私が間違いをしたわけではないのにな。笑顔で対応しても声かけがなく、愛想がないと思われてしまった…、よし、次回からはもっとプラスワンの一言を意識しよう!だなんて、何か起こった時にたいてい自分が割り増しで悪かったと必要以上に反省してしまうのが私の悪い癖。
 ま!こんなこともある!私来て半年しか経ってないし!前の人と比べられてもね!私は私だし!!
 半分くらいは、こんなふうに考えても罸は当たらないかも。

 中間地点、見つかるかなー。
 時間が来たし、そろそろ行こう。

 

ロングスカートに、ロングヘア

  今日はお休みで時間があったので、衣替えをしていた。

 半袖の夏服を仕舞って、秋口に着るトップスをクローゼットの取り出しやすい位置に並べ替えた。

 ボトムス…ロングスカートの量にびっくり。ボトムスの大半は確実にロングスカートが占めている。

 およそ10年前のクローゼットの中身とえらい変わりようだ。あの頃はパンツやショートパンツが持ってるボトムスのメインで、スカートは数枚しかなかった。

 

 25歳で、私は女性になった。

 もちろん文章上の表現であり、性転換とか処女とか非処女とかの話ではない。

 中学生の頃、外国の児童文学をよく読んでいた。トム・ソーヤーやらハックルベリィ・フィンやら小公子セディに憧れて、自分も外国の少年になりたいと思っていた。これは黒歴史とでも言うのだろうか。けれど誰でも思春期の頃には、自分以外の何らかに憧れたりするものなので、特に自分が変わっていて特別だったとは思わない。

 髪型はだいたいショートで、長くてもミディアムくらいの長さに留めていた。

 お芝居で少年役を演じることが何度かあったので、その影響もある。

 ファッションは昔も今も、ナチュラルな、絵本に出てくるような雰囲気の服が好きなので、傾向としては変わっていないが、ボトムスはだいたい好んでショートパンツでまとめて、中性的な雰囲気に仕上げていた。

 自分もかわいい服を着ていいんだと思えるようになったのが25歳頃。

 「着ていいんだ」って、別に誰も禁止していたわけじゃないが、かわいい服や短めのスカートを選ぶのは、何だか異性の目を意識しているように思われて抵抗があったのだ。

 25歳で短めのスカートを穿き出した。おせーよ!って突っ込まれるしかない。25歳になったし短めのスカートは卒業しようかな…という人だっている中で。

 けどファッションは基本的に自由だと思うので、突っ込まれても別に良い。TPOを意識して、他人さまに迷惑をかけなければ。

 20代後半頃は短めのスカートやワンピースが多くなった。

平均より10年以上遅いんじゃないかと思う。それまで恋愛に深い興味が無いまま生きてきており、恋はするにはしていたが、中学生か高校生の恋の延長のようなものばかりで、積極的に異性との交際を求めて活動したことがなかった。コンパとか、パーティーとか、いわゆる出会いの場に足を踏み入れたことがなかったのだ。

 恋愛活動をするようになってから、ファッションに変化が訪れた。

 

 今は恋人もいて、30代にもなった。落ち着いた気分になり、ロングスカートを選ぶようになったのかもしれない。子供の頃よく読んでいた少女漫画の摺り込みか、やはり男女が一緒に居る場合、女性がスカートを穿いているほうが絵になる気がするのだ。

 まあ、そんなことより、自分が今着たいのがロングスカートだから着ているだけなのだけど。追及すると何にでも理由があるものだ。以前はロングスカートは好きじゃなかったのに、人の好みはどんどん変わっていくものなんだな。

 そして現在、黒髪ロングヘアを目指して髪を伸ばしている。今セミロングくらいなので、あと1年ほどで理想の黒髪ロングに到達できるかもしれない。小学生以来ロングヘアにしたことがないので、34歳までに(何となく)一度黒髪ロングを経験してみたい!という望みがあるのだ。

 基本はボブカットをこよなく愛しているので、ロングは少し楽しんだらボブに戻すつもりではいる。

 ロングスカートにロングヘア。いかにも女性!という感じのスタイルが当分続きそうだ。

 結婚でもして暮らしが落ち着いたら、また気分も変わるかもしれない。その頃には再びボーイッシュに立ち戻ってみるのも悪くないな。

 

 

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ダンシング・キッズ!

 昨日の話。

 

 地元の公園で、いろんな地域のご当地グルメを屋台でちょこっとずつ食べられるイベントをやっていたので、小雨の降る中、彼氏と出かけた。

 グルメ満喫が目的だったのだけど、公園の中央のステージで、地元出身のシンガーソングライターやら路上ライブをやっているようなバンドがパフォーマンスをしていて、グルメを味わいながら、見るともなく眺めていた。

 何組目かで、地元の子ども向けダンス教室の子どもたちが、満面の笑顔を弾かせながら音楽に合わせてダンスを始めた。

 下は3歳くらい?から、上は高校生まで、いろんな年代の女の子たちが、手作りと思しき色とりどりのキラキラの衣装に身を包み、全身を力いっぱい使って踊っている。

 みんな振りがよく揃っていて上手。

 どの子にも共通するのは屈託のない完璧な笑顔。ニッコニコ!

 ちょっと緊張してるかな?って子もいたけれど。だいたい笑顔。

 きっと先生から「満面の笑顔で踊りなさい」って教えられてるんだろうなぁって、昔ダンスをちょこっとかじったことのある私は想像した。

 踊っているほうが笑顔じゃないと、見ている人に楽しさや元気さは伝えられないよって。

 

 踊る子どもたちを見ていると、だいたいいつも同じことを思う。あるいは劇場の子役、観客の子ども。

 私も子どもの頃、踊ったり歌ったり演技をしたりしたかったなぁって。

 お芝居もたくさん観たかったなぁって。

 高校生になってから演劇部に入り、18歳で働き始めてからは趣味でミュージカルをしたり、今は合唱団で2年に1回くらいはコンサートを開いたりして、大人になってからは随分と自分のやりたいこと、好きなことをたくさんやれている。ミュージカルや映画も、自分の観たい作品は必ず劇場まで足を運んでいる。

 ただ、子どもの頃は、自分の好きなことややりたいことに対して、どこか躊躇する気持ちがあった。飛び込むだけの勇気が持てないでいた。

 

 小学生の頃、運動会で、応援団の一環としてチアガールのダンスがあった。有志の、まさにやりたい子だけが放課後に時間を取って練習するシステム。

 低学年の頃にチアガールの演技を見て、自分もやりたい!!と思った。

 確か応援団へ参加できるのは3年生からだった。

 3年生の運動会の前、クラスで先生が「応援団やりたい人!」と有志を募った。

 さあ、今こそ手を挙げる時だ!と頭ではわかっていたのに、当時の引っ込み思案な私は手を挙げることができなかった。

 「応援団」という言葉を聞いて、クラスメートの何人かがクスクス笑ったような気がしたからかもしれない。せめて先生も「応援団」じゃなくて「チアガール」と言ってくれたら良かったのに。そうしたら手を挙げられたかもしれなかったのに。9歳の私は思った。

 結局、その場では誰も手を挙げず、先生に施されるかたちで他の子が選ばれていたように思う。当日、運動会で自分の出ていないチアガールの演技を見て、ものすごく後悔した。あの時手を挙げていれば。4年生では必ず手を挙げよう!と固く固く心に誓った。

 

 結局3年生の終わりにその小学校を転校してしまったので、チアガールのダンスは経験できずじまい。

 踊る子どもたちを見るといつも思い出す、ほろ苦い思い出。

 今ではダンスって学校の必須科目になってるらしい。テレビでアイドルがダンスしてるのを見る機会も多いし、私が子どもの頃とくらべてどんどんダンスが身近なものになっているようだ。子どもの習い事としてのダンスも、昔は今よりメジャーじゃなかった。

 アイドルに憧れてダンスやってみたい!って言う子もいるだろうし、お母さんがやっていたから子どもにも経験させたいってことで始める子もいるだろうし。

 「自分の子どもがやりたいって言ったら機会をつくると思うけど、それより自分がやりたいわ!」って言ったら彼氏に笑われた。

 実際今、合唱団のコンサートのほうで有志でダンスチームもあったりはするんだけど、自分は参加していなかったり。大人になってやってみてわかったけど、結構ダンスって運動神経が密接に関係してる。運動神経がつながっていない私はダンスをするのに人並み以上の頑張りが必要なのだった。けれどそれはやってみないとわからなかったことなので、少しでも足を踏み入れてみて良かったな!と思っている。

 何にせよ、今は、自分のやりたいと思ったことに対して躊躇なく行動できる大人になれたので、子どもの頃の後悔や無念は現在進行形で清算され続けている。

 

 子どもって親を選べないわけで、どうしても親の興味や趣味が子どもの興味関心に少なからず影響してしまうものだと思う。お芝居好きなお母さんは子ども連れでお芝居観に行くことがあるだろうし。

 私の両親はお芝居や歌やダンスの趣味が特別あったわけじゃなかったので、子どもの頃の私は、なかなか早い段階でそうした世界に触れることはできなかった。親のせいとかそういう話ではなく、親の影響力ってそういうものなんだと思う。

 けれど親とは関係なく、勝手にチアガールやってみたいと思ったし、学校で観に行ったミュージカルに影響受けて自分もやりたいって思ったし、ドラマの「ガラスの仮面」観て演劇やりたいって思った。結局子は子なんだな。親と子は別の人間。そういうもの。

 自分がいつか子どもを持った時、この感覚を忘れずにいたいな。

 

 9歳の私がキラキラ笑顔のダンスを見たら、どんな気持ちになっていたかな。

 参加してもなかなか上手く笑えていなさそうだ~。

 

 

ブログ、デビュー!

 雨の休日。部屋で一人パソコンに向かっている。

 アラサーにして、いよいよブログデビュー!

 

 昔から、文章を書くことが大好きでした。

 学校で、誰とも話をせずに一日を過ごしていた引っ込み思案な子供時代。

高校入学を機に、少しずつともだちも増え、社会性を身につけて、今では当たり前のような顔をして会社で接客の仕事をしているけれど、小学校入学~中学校卒業の間は、とてつもなく内向的で、一人で想像の世界で遊んでいました。

家庭では大人しいどころか、両親や姉妹に偉そうな態度を取ってしまうこともしばしばあったので、いわゆる内弁慶というやつです。

 

  大人になった今思うと、子供の頃の私は「場面緘黙症」だったのかもしれません。「場面緘黙症」というのは、家では普通におしゃべりできるのに、幼稚園や保育園、学校などの社会的場面で話すことができない状態が少なくとも1か月以上続いている症状のことをいいます。子供の頃は、自分は単に内気なだけで、学校では話せない状態に名前がついているとは思いもしませんでしたが、最近になってネットでこの言葉を知って、もしや、と思って色々と調べてみた結果、自分も該当していたのではないかと思うようになりました。この「場面緘黙症」自体の研究も日本では遅れているらしく、そうすると今アラサーの私の子供時代には、先生の間での認知度も相当低かったんじゃないかと推測できます。

 うまく言葉が出て来ないため、同級生とコミュニケーションが取れず、話をすることによる自己表現ができなかった中、唯一私が自分を表現することができたのが文章の世界でした。作文や読書感想文がまったく苦ではなく、何枚でも書けました。口に出して使わなかったぶんの言葉が、文字で書くほうの言葉の世界にあふれ出ていたのかもしれません。

 

 来月、某有名アイスクリームチェーン店の名前と同じ年齢を迎えます。

 今回、ブログを始めようと思ったのは、年齢を重ねていく中で、改めて、自分が本当に好きなことは何なのか? やりたいことは何なのか? やり続けていきたいことは何なのか? と考えた時、やはり私は子供の頃から書くことが大好きで、日々の考えや感じたことを書いていきたい、せっかくならブログというかたちで、自分の文章を外の世界にも広く発信していきたい、と思ったからです。書く行為を日常生活の中に根差させていきたい。

 

 ブログタイトル「ひりひりくらいがちょうどいい」。

 いくつか候補を考えた中、上に決めました。最初「ほうき星の書きもの」で行こうかとも思ったのですが、当たり前すぎるし、せっかくなら少しはインパクトのあるタイトルにしようと思って。

 私は感受性が強い性質で、人のちょっとした言動で心が動いてしまうことが多々あります。良くも悪くも。

 昔「大人しい子供」だったため、今は普通に人とコミュニケーションを取れていても、ふとした時に昔の「大人しい子供」が顔を出してコミュニケーションが上手くいかず、悩むこともあります。

 映画やドラマ、小説などの物語に対してもよく心が動きます。

 そんな時の心は、たいていひりひりしています。

感情の水がコップからあふれる寸前の心。コップからあふれた後、心に染み込んでいく水。

 人の優しさに感激したり、嬉しかったり、ワクワクする気持ち、ポジティブな感情はもちろん大切ですが、それと同じくらい、悩んだり、苦しんだり、傷ついたりするネガティブな感情も大切だと私は思っています。いつまでもネガティブな気持ちのままでいるのは体にも心にも良くないので、切り替えは必要ですが、悩むことや傷つくことによって自分を振り返るきっかけになったり、問題に対して建設的に自分の頭で考えていく機会になると思うからです。

 小難しいことを書いてしまいましたが、というより、人間なんだから、悲しいことも腹立たしいこともあって当たり前! 悩むことや傷つくことがあって当たり前! それが人間である醍醐味!! だったらその感情を思う存分味わって、楽しんじゃえばいい、と思うのです。

 よって、ひりひりくらいがちょうどいい。

 ひりひり痛いくらいに心を使って、動かしていきたい、と思っています。

 

 基本的にアナログ人間なので、スマホやパソコン、苦手だったりします。20代前半の頃は紙のノートに自分だけの日記や文章を書いていました。25歳くらいからはミクシィで日記を書いていたり。

 ここ2年ほどは紙の日記からも遠ざかっていましたが、誕生日を前に、何か始めたい!!という気持ちが高まって、文章の世界に帰ってきました。

 今回は硬めの文章ですが、書く内容によって文体や構成も変えていく予定です。

 書きたい時に、書きたいことを、書きたいように書いていきます!