ロングスカートに、ロングヘア
今日はお休みで時間があったので、衣替えをしていた。
半袖の夏服を仕舞って、秋口に着るトップスをクローゼットの取り出しやすい位置に並べ替えた。
ボトムス…ロングスカートの量にびっくり。ボトムスの大半は確実にロングスカートが占めている。
およそ10年前のクローゼットの中身とえらい変わりようだ。あの頃はパンツやショートパンツが持ってるボトムスのメインで、スカートは数枚しかなかった。
25歳で、私は女性になった。
もちろん文章上の表現であり、性転換とか処女とか非処女とかの話ではない。
中学生の頃、外国の児童文学をよく読んでいた。トム・ソーヤーやらハックルベリィ・フィンやら小公子セディに憧れて、自分も外国の少年になりたいと思っていた。これは黒歴史とでも言うのだろうか。けれど誰でも思春期の頃には、自分以外の何らかに憧れたりするものなので、特に自分が変わっていて特別だったとは思わない。
髪型はだいたいショートで、長くてもミディアムくらいの長さに留めていた。
お芝居で少年役を演じることが何度かあったので、その影響もある。
ファッションは昔も今も、ナチュラルな、絵本に出てくるような雰囲気の服が好きなので、傾向としては変わっていないが、ボトムスはだいたい好んでショートパンツでまとめて、中性的な雰囲気に仕上げていた。
自分もかわいい服を着ていいんだと思えるようになったのが25歳頃。
「着ていいんだ」って、別に誰も禁止していたわけじゃないが、かわいい服や短めのスカートを選ぶのは、何だか異性の目を意識しているように思われて抵抗があったのだ。
25歳で短めのスカートを穿き出した。おせーよ!って突っ込まれるしかない。25歳になったし短めのスカートは卒業しようかな…という人だっている中で。
けどファッションは基本的に自由だと思うので、突っ込まれても別に良い。TPOを意識して、他人さまに迷惑をかけなければ。
20代後半頃は短めのスカートやワンピースが多くなった。
平均より10年以上遅いんじゃないかと思う。それまで恋愛に深い興味が無いまま生きてきており、恋はするにはしていたが、中学生か高校生の恋の延長のようなものばかりで、積極的に異性との交際を求めて活動したことがなかった。コンパとか、パーティーとか、いわゆる出会いの場に足を踏み入れたことがなかったのだ。
恋愛活動をするようになってから、ファッションに変化が訪れた。
今は恋人もいて、30代にもなった。落ち着いた気分になり、ロングスカートを選ぶようになったのかもしれない。子供の頃よく読んでいた少女漫画の摺り込みか、やはり男女が一緒に居る場合、女性がスカートを穿いているほうが絵になる気がするのだ。
まあ、そんなことより、自分が今着たいのがロングスカートだから着ているだけなのだけど。追及すると何にでも理由があるものだ。以前はロングスカートは好きじゃなかったのに、人の好みはどんどん変わっていくものなんだな。
そして現在、黒髪ロングヘアを目指して髪を伸ばしている。今セミロングくらいなので、あと1年ほどで理想の黒髪ロングに到達できるかもしれない。小学生以来ロングヘアにしたことがないので、34歳までに(何となく)一度黒髪ロングを経験してみたい!という望みがあるのだ。
基本はボブカットをこよなく愛しているので、ロングは少し楽しんだらボブに戻すつもりではいる。
ロングスカートにロングヘア。いかにも女性!という感じのスタイルが当分続きそうだ。
結婚でもして暮らしが落ち着いたら、また気分も変わるかもしれない。その頃には再びボーイッシュに立ち戻ってみるのも悪くないな。
ダンシング・キッズ!
昨日の話。
地元の公園で、いろんな地域のご当地グルメを屋台でちょこっとずつ食べられるイベントをやっていたので、小雨の降る中、彼氏と出かけた。
グルメ満喫が目的だったのだけど、公園の中央のステージで、地元出身のシンガーソングライターやら路上ライブをやっているようなバンドがパフォーマンスをしていて、グルメを味わいながら、見るともなく眺めていた。
何組目かで、地元の子ども向けダンス教室の子どもたちが、満面の笑顔を弾かせながら音楽に合わせてダンスを始めた。
下は3歳くらい?から、上は高校生まで、いろんな年代の女の子たちが、手作りと思しき色とりどりのキラキラの衣装に身を包み、全身を力いっぱい使って踊っている。
みんな振りがよく揃っていて上手。
どの子にも共通するのは屈託のない完璧な笑顔。ニッコニコ!
ちょっと緊張してるかな?って子もいたけれど。だいたい笑顔。
きっと先生から「満面の笑顔で踊りなさい」って教えられてるんだろうなぁって、昔ダンスをちょこっとかじったことのある私は想像した。
踊っているほうが笑顔じゃないと、見ている人に楽しさや元気さは伝えられないよって。
踊る子どもたちを見ていると、だいたいいつも同じことを思う。あるいは劇場の子役、観客の子ども。
私も子どもの頃、踊ったり歌ったり演技をしたりしたかったなぁって。
お芝居もたくさん観たかったなぁって。
高校生になってから演劇部に入り、18歳で働き始めてからは趣味でミュージカルをしたり、今は合唱団で2年に1回くらいはコンサートを開いたりして、大人になってからは随分と自分のやりたいこと、好きなことをたくさんやれている。ミュージカルや映画も、自分の観たい作品は必ず劇場まで足を運んでいる。
ただ、子どもの頃は、自分の好きなことややりたいことに対して、どこか躊躇する気持ちがあった。飛び込むだけの勇気が持てないでいた。
小学生の頃、運動会で、応援団の一環としてチアガールのダンスがあった。有志の、まさにやりたい子だけが放課後に時間を取って練習するシステム。
低学年の頃にチアガールの演技を見て、自分もやりたい!!と思った。
確か応援団へ参加できるのは3年生からだった。
3年生の運動会の前、クラスで先生が「応援団やりたい人!」と有志を募った。
さあ、今こそ手を挙げる時だ!と頭ではわかっていたのに、当時の引っ込み思案な私は手を挙げることができなかった。
「応援団」という言葉を聞いて、クラスメートの何人かがクスクス笑ったような気がしたからかもしれない。せめて先生も「応援団」じゃなくて「チアガール」と言ってくれたら良かったのに。そうしたら手を挙げられたかもしれなかったのに。9歳の私は思った。
結局、その場では誰も手を挙げず、先生に施されるかたちで他の子が選ばれていたように思う。当日、運動会で自分の出ていないチアガールの演技を見て、ものすごく後悔した。あの時手を挙げていれば。4年生では必ず手を挙げよう!と固く固く心に誓った。
結局3年生の終わりにその小学校を転校してしまったので、チアガールのダンスは経験できずじまい。
踊る子どもたちを見るといつも思い出す、ほろ苦い思い出。
今ではダンスって学校の必須科目になってるらしい。テレビでアイドルがダンスしてるのを見る機会も多いし、私が子どもの頃とくらべてどんどんダンスが身近なものになっているようだ。子どもの習い事としてのダンスも、昔は今よりメジャーじゃなかった。
アイドルに憧れてダンスやってみたい!って言う子もいるだろうし、お母さんがやっていたから子どもにも経験させたいってことで始める子もいるだろうし。
「自分の子どもがやりたいって言ったら機会をつくると思うけど、それより自分がやりたいわ!」って言ったら彼氏に笑われた。
実際今、合唱団のコンサートのほうで有志でダンスチームもあったりはするんだけど、自分は参加していなかったり。大人になってやってみてわかったけど、結構ダンスって運動神経が密接に関係してる。運動神経がつながっていない私はダンスをするのに人並み以上の頑張りが必要なのだった。けれどそれはやってみないとわからなかったことなので、少しでも足を踏み入れてみて良かったな!と思っている。
何にせよ、今は、自分のやりたいと思ったことに対して躊躇なく行動できる大人になれたので、子どもの頃の後悔や無念は現在進行形で清算され続けている。
子どもって親を選べないわけで、どうしても親の興味や趣味が子どもの興味関心に少なからず影響してしまうものだと思う。お芝居好きなお母さんは子ども連れでお芝居観に行くことがあるだろうし。
私の両親はお芝居や歌やダンスの趣味が特別あったわけじゃなかったので、子どもの頃の私は、なかなか早い段階でそうした世界に触れることはできなかった。親のせいとかそういう話ではなく、親の影響力ってそういうものなんだと思う。
けれど親とは関係なく、勝手にチアガールやってみたいと思ったし、学校で観に行ったミュージカルに影響受けて自分もやりたいって思ったし、ドラマの「ガラスの仮面」観て演劇やりたいって思った。結局子は子なんだな。親と子は別の人間。そういうもの。
自分がいつか子どもを持った時、この感覚を忘れずにいたいな。
9歳の私がキラキラ笑顔のダンスを見たら、どんな気持ちになっていたかな。
参加してもなかなか上手く笑えていなさそうだ~。
ブログ、デビュー!
雨の休日。部屋で一人パソコンに向かっている。
アラサーにして、いよいよブログデビュー!
昔から、文章を書くことが大好きでした。
学校で、誰とも話をせずに一日を過ごしていた引っ込み思案な子供時代。
高校入学を機に、少しずつともだちも増え、社会性を身につけて、今では当たり前のような顔をして会社で接客の仕事をしているけれど、小学校入学~中学校卒業の間は、とてつもなく内向的で、一人で想像の世界で遊んでいました。
家庭では大人しいどころか、両親や姉妹に偉そうな態度を取ってしまうこともしばしばあったので、いわゆる内弁慶というやつです。
大人になった今思うと、子供の頃の私は「場面緘黙症」だったのかもしれません。「場面緘黙症」というのは、家では普通におしゃべりできるのに、幼稚園や保育園、学校などの社会的場面で話すことができない状態が少なくとも1か月以上続いている症状のことをいいます。子供の頃は、自分は単に内気なだけで、学校では話せない状態に名前がついているとは思いもしませんでしたが、最近になってネットでこの言葉を知って、もしや、と思って色々と調べてみた結果、自分も該当していたのではないかと思うようになりました。この「場面緘黙症」自体の研究も日本では遅れているらしく、そうすると今アラサーの私の子供時代には、先生の間での認知度も相当低かったんじゃないかと推測できます。
うまく言葉が出て来ないため、同級生とコミュニケーションが取れず、話をすることによる自己表現ができなかった中、唯一私が自分を表現することができたのが文章の世界でした。作文や読書感想文がまったく苦ではなく、何枚でも書けました。口に出して使わなかったぶんの言葉が、文字で書くほうの言葉の世界にあふれ出ていたのかもしれません。
来月、某有名アイスクリームチェーン店の名前と同じ年齢を迎えます。
今回、ブログを始めようと思ったのは、年齢を重ねていく中で、改めて、自分が本当に好きなことは何なのか? やりたいことは何なのか? やり続けていきたいことは何なのか? と考えた時、やはり私は子供の頃から書くことが大好きで、日々の考えや感じたことを書いていきたい、せっかくならブログというかたちで、自分の文章を外の世界にも広く発信していきたい、と思ったからです。書く行為を日常生活の中に根差させていきたい。
ブログタイトル「ひりひりくらいがちょうどいい」。
いくつか候補を考えた中、上に決めました。最初「ほうき星の書きもの」で行こうかとも思ったのですが、当たり前すぎるし、せっかくなら少しはインパクトのあるタイトルにしようと思って。
私は感受性が強い性質で、人のちょっとした言動で心が動いてしまうことが多々あります。良くも悪くも。
昔「大人しい子供」だったため、今は普通に人とコミュニケーションを取れていても、ふとした時に昔の「大人しい子供」が顔を出してコミュニケーションが上手くいかず、悩むこともあります。
映画やドラマ、小説などの物語に対してもよく心が動きます。
そんな時の心は、たいていひりひりしています。
感情の水がコップからあふれる寸前の心。コップからあふれた後、心に染み込んでいく水。
人の優しさに感激したり、嬉しかったり、ワクワクする気持ち、ポジティブな感情はもちろん大切ですが、それと同じくらい、悩んだり、苦しんだり、傷ついたりするネガティブな感情も大切だと私は思っています。いつまでもネガティブな気持ちのままでいるのは体にも心にも良くないので、切り替えは必要ですが、悩むことや傷つくことによって自分を振り返るきっかけになったり、問題に対して建設的に自分の頭で考えていく機会になると思うからです。
小難しいことを書いてしまいましたが、というより、人間なんだから、悲しいことも腹立たしいこともあって当たり前! 悩むことや傷つくことがあって当たり前! それが人間である醍醐味!! だったらその感情を思う存分味わって、楽しんじゃえばいい、と思うのです。
よって、ひりひりくらいがちょうどいい。
ひりひり痛いくらいに心を使って、動かしていきたい、と思っています。
基本的にアナログ人間なので、スマホやパソコン、苦手だったりします。20代前半の頃は紙のノートに自分だけの日記や文章を書いていました。25歳くらいからはミクシィで日記を書いていたり。
ここ2年ほどは紙の日記からも遠ざかっていましたが、誕生日を前に、何か始めたい!!という気持ちが高まって、文章の世界に帰ってきました。
今回は硬めの文章ですが、書く内容によって文体や構成も変えていく予定です。
書きたい時に、書きたいことを、書きたいように書いていきます!